それは別に卒業したから、というものではない。確かに浦安市立南小学校を卒業したが、あそこを母校と呼ぶ感覚は俺にはない。
今に至るまでの「自分」というものの形成、それに大きな影響を与えた場所、それが母校だ。
間違いなくそれが国府台高校である。
そしてその高校生活の大部分を過ごした4階のあの音楽室と、薄暗い部室。吹奏楽部が俺の居場所で、国府台高校吹奏楽部員トランペットパートが、俺の役割だった。それだけだった。他になにもなく、なにもいらないとさえ思っていた。充足も不満も悔恨も後悔も恋愛も、全部があった。
だから正確に言うと、そして表現はおかしいけど、俺の母校は「国府台高校吹奏楽部」だ。
で、卒業して丸10年以上経ってしまった。そして今でも似たようなことをやっている。
そう、似たようなことだ。俺にとって演劇公演はスプリングコンサートなんだ、多分。だから聴きに行く度にちょっと嫉妬する。動員とか。今日は多分1000越えてたんじゃないか?
鴻陵楽団(吹奏楽部をこう呼ぶ)定期演奏会である「スプリングコンサート」。毎年手伝いに行ったり聴きに行ったりしていたが、ここ2年くらい忙しさにかまけて足を運んでいなかった。今年は同期の誘いもあり、都合をつけた。結局途中からになってしまったが、メインの大曲には間に合った。
いつものことながらアンコールまでタフに走り抜ける彼らは、最高にカッコよかった。
一丁前に「プロフェッショナルであろう」「パフォーマーであろう」とする背伸びと、
単純極まりない「今この瞬間が楽しい」「ここが終わればどうなってもいい」という甘さと。
そういう学生バンド特有のアマチュアリズムとプロ意識が入り混じったマーブル模様は、本当に美しくてグッとくる。
そして何より、あんないいバンドが今日を限りで解散するってこと。この日のために組み上げたとっておきのバンドサウンド、それが卒業と引退とでまたバラバラになる。そんな一過性の一番いい場面と演奏を、観られる聴ける。なんという贅沢。もったいないが、だからこそのあのパフォーマンス。
まさに「No day, but today.」じゃないか。
君たちは、スゴいことをやっているんだぜ。心臓がバクバクする。叫びたくなる。でも「ブラボー」なんてガラじゃないから、その代わりに(一人だけど)万雷の拍手を。
もちろん、演奏も素晴らしい。だけど彼らの立ち姿、生き様みたいなものに圧倒されるんだ、毎回。そしてそれが不思議と演奏に乗るんだ。
終演後、懐かしい顔との再会。帰り道、同期と飲みながら近況報告。「若くねえな」「勝てねえな」みたいなことを言いつつも、産んだり別れたり、皆それなりに波乱万丈。充分アグレッシヴじゃないかと思うし、変わんねえな、とも思う。
そうなのだ。人生は続く。当たり前だけど。失ったって捨てたって、また居場所も役割も与えられる。望むも望まざるも。それを生かすか殺すかだ。
こういう大それたことを考えさせる故に、あそこは唯一の「母校」なのだ。
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